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ちょんまげができるまで(第7章☆職人編)

May 23, 2019

「タコライス屋をオープンするために
辞めさせていただきます!」



正社員として初めて社会人デビューし
就いた職種は内装のクロス職人でした。

クロス職人とは住宅の壁紙を貼る仕事。


私はバーテンダー時代のお客様の誘いで、
大阪のとある内装インテリアの会社に就職したのです。


職人世界って体験したことありますか?


職人の世界ってほとんどが個人事業主の一人親方。
まぁ、頑固な人がほとんどです。

中には若い職人を束ねている組織もありますが、
己の腕一本で飯を食う猛者たちには変わりありません。

まるで侍です。笑


壁紙の貼って貼ってなんぼの商売なので、
とにかく黙々と石膏ボードにパテを塗り、施工面を
サンダー(紙やすり)で整え、壁紙を貼りまくります。

一つの現場が終わったら、次の現場、次の現場へと転々とします。


ただですね、、、

量を貼ればいいっていう訳ではなく、
後々施主様のクレームになるような荒く雑な仕事だと、
どんどん仕事がなくなるので、それはもう大変な世界です。


さらに、、、

己の技術を人に教えることを嫌います。

そりゃ、自分の技術を教えてしまうと
自分の仕事を奪われるリスクが伴うから。


飲食業界の仕事とはまるで別世界でした。


そんな職人世界に飛び込んでみて、
最初はビビりながらも、「職人ってかっこいい!」と
様々なタイプの職人さんに魅了されていきました。


私は社員職人として様々な親方の現場に
入らせていただける特権がありました。


「仕事は見て盗め!」

が大抵の職人の口癖です。


毎日毎日、、、

パテまみれ、
壁紙の糊(ノリ)まみれ、、
手はカッターの傷だらけになり、、

吹抜の天井にスライダー(長ーいはしご)でよじ登ったり、
5mくらいの高さの足場の上で作業したり。


様々な職人の仕事を盗み見しながら、
少しずつ技術を高めていきました。


コミュニケーション力が高かった私は、
口数少ない寡黙な職人たちから、技術についても
結構教えてもらうことができたんですよね。



そして、、、

3年目に入る頃には
一人で現場に入れるまでに成長しました!



一人で任される最初の現場は今でも忘れません。

兵庫県伊丹市の建売建築でした。
工期は6日間。


途中ヘルプを呼びたくなるほど
挫折しかけましたが、

ほぼ寝ずになんとか一人で
仕事をやり遂げました!



あぁ〜、達成感。


「一人で一から最後まで完結させるって大事」
ということを、その経験から学びました。

何と言っても、自信につながります。


当時の技術は一流の職人に比べるとまだまだですが、
プロ野球でいうと一軍のデビュー戦を飾り、
プロとして食っていく第一歩を踏み出した状態。

これからさらに職人として技術を磨いていくことに
ワクワクしていました。


当時私がいた世界で一流の職人さんがいました。


Mさんという方で、
頭にタオルを巻き、無精髭を生やし、
Mさんは当時30代半ばくらいだったんじゃないかと記憶しています。


Mさんのパテや壁紙貼りの技術は
まるでアートでした。

石膏ボードの継ぎ目と継ぎ目を埋めるパテは
綺麗に区画整理された道路のようにまっすぐに整い、

パテの量も最小限で無駄がなく、
後々サンダーで整える必要がほとんどありません。

そして、壁紙を貼るスピードはレーザービームのように早く、
そして仕上がりが美しい。

現場はいつもスッキリ綺麗。
道具の手入れも怠らない。

私にとっては壁紙職人界の
まさに「イチロー」のような存在でした。



どんな職人からも認められる存在で、
まさに私の憧れ。



私はMさんの現場に入ることが楽しくて、
仕事以外でもよく色々な話もしました。


どんな仕事でもそうかと思いますが、
自分が目標とする(憧れる)人を作り、
その人を真似ていくって、本当に大事です。



目標があるとやることが明確になります。


私が職人世界で食えるようになったのは、
多くの職人さんのおかげではありますが、
特にMさんの影響が大きかったのだと思います。



そして、、、

職人時代はよく働きました。

繁忙期には最高42日間休みなく、
兵庫、大阪、奈良、京都の現場を走り回りました。


今では笑い話で終わらせられますが、

現場が深夜に終わり、疲れ果てて帰路につく名神高速道路で、
7段ある大きな脚立を車のルーフキャリアに縛り付けるのを忘れ、
落としたことがあります。

(バックミラー越しに脚立が飛んでいく映像が今でも残っています。。)

幸い深夜は大型のトラックばかり。
大型のトラックにとってはアルミでできた脚立なんかはモノともしません。

(一般乗用車だったらどうなっていたか。。)

この脚立はほぼ原型を残すことなくバラバラに解体され、
サービスエリアで一部を回収することができました。

あの時は血の気が引くような思いでしたね。。


そんなこんなで職人時代を過ごしていたのですが、、、

ある時一つの思いが芽生えました。


「俺、このまま職人で一生を終えるのかなぁ?」


様々は職人を見てきて、
中には目が見えなくなって廃業したり、
病気になって働けなくなり、後に死に至ったり。

身体を激しく使う職業だからこそ、
様々なリスクも伴います。

元気であるうちはいいのですが、
本当に私がやりたいことはこれなのか?


例のごとく、また自問自答の日々が続きました。



私の原点は?

私の望むものは?




壁紙の職人は、その言葉通り
「壁に向かって(仕事をする)」こと。


そう、私の原点は、
「人に向かって(仕事をする)」ことでした。


今こそ原点回帰をと思い、
職人世界を離れることに決断しました。


すでに稼ぎ頭として成長しつつあった私を
社長は全力で止めに掛かりましたが、
頑固者の私の意志は揺らぎません。


「職人も大変やりがいのある仕事ですが、
僕はもともとやっていた飲食業の世界に戻り、
人と向き合って仕事したいんです。

沖縄が好きでタコライスを全国に広げたいので、
タコライス屋をオープンするために辞めます!」



社長にとっては、
全く意味不明の理由で社長を押し切り、
辞めさせてもらうことができました。
 

そして、、、


ちょっと長くなりましたので、
今日はこの辺りで。


次回は、、

第二の社会人人生を模索する

ちょんまげができるまで(第9章☆再びフリーター編)

をお届けします!


引き続き、お読みいただけると嬉しいです^^;

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株式会社ちょんまげの石上です。

ちょんまげという会社を
設立してからというもの

名刺交換をするたびに、

「なんでちょんまげっていう
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これから数回に亘って、
ちょんまげができるまでの
ストーリーをお話しできればと思います。

私、石上のことを知っていただく機会...

ちょんまげができるまで(予告編)

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