• 石上 和平

ちょんまげができるまで(第6章☆フリーター編)


「いつまでフリーターやっとるんや! うちの会社に来い!」 高校を卒業しフリーターへの進路に進んだ私は、 小さな頃から培ったコミュニケーション力を 生かすべく、 ビアレストラン 居酒屋 弁当屋 を掛け持ちでフリータを開始しました。 ひたすらバイト⇒遊び⇒バイトの日々で 同年代のフツーの方々に比べると それなりに稼いでいました。 稼いでは自分の欲しいモノを買ったり、 飲み食いに使い、 当時お金で買える欲しかったものは ほぼ手に入れられたと思います。 ただ、、、 1,2年そんなことを続けていると なんか悶々としてきたんですよね。 特に進学するわけでもなく それなりに与えられた仕事はこなせるし 評価もしっかり受けられる。 私が求めていたことはこんなことだったのかなぁ。。 悶々。 悶々。。 悶々。。。 とする日々。 そして、ある日、 兄が脱っサラして アメリカにログハウスを立てに旅立ちました。 中高大とエスカレータ式に進学し、 そこそこの大手中堅企業に就職した6つ上の兄が、 就職して2,3年で会社を辞めて、 向こうの大工さん同行し アメリカを旅しながらログハウスを立てるというのです。 兄はいつも僕の先を走っていました。 行動力、決断力があり、 結構やんちゃ目でしたが、 心から尊敬できる兄です。 しばらくしてアメリカから帰ってきた兄から 聞いたアメリカの話は、 それはもう、それはもう刺激的でした。 そして、、、 私も真似してアメリカを旅することにしました。 親友と二人で。 当時、アメリカにはグレイハウンドという アメリカの大概の場所は回れるバスがあり、 私たちは28日間乗り放題のチケットと 大きなリュックサックと ボロボロに履き古したいジーンズとスニーカー そして黒のパーカーとベージュのハットをかぶって アメリカへの旅をスタートしたのです。 日本では味わえない非日常の冒険が始まりました。 私たちは当時未成年、 大柄のアメリカ人からしたら ちょっとおかしなジャパニーズに見えたと思います。 アメリカのバスというのは 低所得層の方々が利用する交通手段ということで、 バスのディーポは結構ヤバい方々が多くて、 よく浮浪者の方に絡まれたりしました(笑) 「金くれ、タバコくれ」 「うるせー!」ってな感じ。。 ディーポの中には拳銃持っている人なんかもいて、 「これが銃社会のアメリカか!驚」 と驚いたこともあります。 私たちの旅は、 西海岸ロサンジェルスから始まり、 北へ東へ南へ西へと、 ぐる〜っと一周する旅でした。 ソルトレイクであまりにも 薄着の服しか持っておらず 凍死しかけそうになったり、 携帯もない時代に、 当時ウィスコンシン州に留学したいた友達と 「●月●日の●時にシカゴの鉄道の駅で待ち合わせよう!」 と無謀な約束をして、 腹ペコで死にそうなタイミングで 運命的に再会できたり、 ナイアガラフォールズの爆流に飲まれそうになったり、 最大32時間バスに乗って、 ニューヨークからマイアミまで移動したり、 ニューオーリンズで ボロッボロのジャパニーズが ボロッボロのライブハウスで 体育座りで黒人のジャズカルテットの音楽を鑑賞したり、 同じくニューオーリンズで 本場のポールダンスショーを こっそり鑑賞させていただいたり、 シックスフロアで暗殺された ジョン・F・ケネディ大統領に 思いを馳せてみたり、 グランドキャニオンで逆立ちして 大自然を体感してみたり、 メキシコの激辛タコスに お腹を痛めてみたり。。 他にも語り尽くせないほどの 思い出はたくさんありますが、 初めて日本を離れて 外国という国を味わってみたんですよね。 アメリカはバス旅だったので 結構ディープな体験もしました。 どんな国にも「光と闇」があるんだなと その時思いました。 そんな刺激的な体験をした後 日本に帰ってきた私は、 また悶々とする日々の中で、 ある運命的な出会いをしました。 知ってますか? 「カクテル」っていう映画。 フレアバーテンダーに扮する トム・クルーズのかっこよさに魅了され、 フリーターだった私は、 バーテンダーこそ天職だと思い、 渋谷のバーテンダースクールに通い、 バーテンダーになったんです(笑) 思いついたら即行動ですね。 (私の悪い癖でもあります。。) そして、、、 芦屋と神戸のバーを掛け持ちして バーテンダーとしての道を歩む 修行が開始しました。 お酒も好きだし、 人と話しするのも好きだった私にとっては、 バーテンダーは魅力的な職業でした。 芦屋のバーは、 ゴルフのインストラクターのオーナーが経営するバー、 神戸のバーは、 地元の地主さんが経営するバーで地元の面白い方々が集まるバー、 どちらも魅力的な方々が集い、 ここでも様々な人生勉強をさせていただきました。 バーテンダーを2年ほどやっていた時でしょうか? (当時)飽き性な私にとっては、 また悶々期が襲ってきたんでしょうね。。 そんな中、、、 「石上くん、いつまでフリーターやっとるんや! うちの会社に来なさい!!!」 と、芦屋のバーのお客さんだった 大阪のインテリア会社の社長にお声掛けいただいたのです。 それはそれは、大変ありがたいお誘いでした。 高校を出てから3年くらい、 フリーターを堪能しようとそれなりにがんばってきました。 そして、、、 社長のお誘いは2択で、 「番頭(営業兼職人を管理マネジメントする仕事」 やるか、 「職人(実際に壁紙を貼る職人)」 という選択肢がありました。 実は私は、バーテンダーやっていた時もそうですが、 昔から手先が器用で職人という仕事に憧れる部分もあったんですよね。 おとんから絵画の修復師になってみては? という話もありました。 そして、、、 私は「社員職人」という立場で、 建築系の職人世界に飛び込むことになったんです。 この続きはまたお話しさせていただきますね。 次回は、、 職人の孤独と生き様を体験する ちょんまげができるまで(第7章☆職人編) をお届けします! 引き続き、お読みいただけると嬉しいです^^;

#ちょんまげ

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